そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

篠山紀信展 写真力

昨日熊本現代美術館に
篠山紀信展 写真力」を見に行った。
写真とプリントとの関係を目の当たりにした。
入り口を入ってすぐの
「GOD鬼籍に入られた人々」のコーナーは、
照明を落としてスポットでプリントを浮かび上がらせるのだが、
紙質のせいか、テカリが気になりどうにも落ち着かない。

次のコーナーに入っても、
大きく引き延ばした写真を見る必然性に欠ける。
篠山氏が美術館での展覧会をいままでやらなかったわけだ。

たださすがに巨大な集合写真とでも言うべき作品は、
その大きさが非常に効果的で魅力的だった。
豊島園プールとか、刺青の男たち、大相撲など。

ディズニーのキャラクター、
また歌舞伎俳優のポートレートには、
あんまり紀信らしさが感じられず。

でも、最後のACCIDENTと名づけられたコーナーでの
東日本大震災被災者の姿には、胸を打たれた。
一度見てもすぐにはわからず、
もう一度一人ひとりに対面するように拝見して気づいた。
篠山氏がどういう言葉をかけたかわからない。
でも、そこには言葉を超えたコミュニケーションがある。
表情がないわけではない。
笑えなくても、なぜか撮影されることに対して
ある種の晴れがましさのような感じも受けた。
それはこちらの勝手な解釈かもしれない。
でも、写されることを承諾した人たちの
それぞれの思いを受け止めた記念写真なのだ。
誰でも撮れそうで、やっぱり篠山紀信だった。
ほとんどの写真が、
写真集の中でこそ輝くと言った印象だったのに、
それらのポートレートは、
写真としてはキッチリしていない、
紀信氏のどこか迷いみたいなものも感じられた。
見に行った甲斐があった。

篠山紀信だからこそ与えられる撮影の場と被写体がある。
氏の強みはそのことに尽きるのではなかろうか。
ま、長いこと挑戦して評価を得てきた結果だろうけれど。

Dsc_0383

いよいよ明日までです。