そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

合志義塾が生んだ意外な人物

Photo
最近とんと雨が降らないので、パサパサ乾燥している
西合志図書館西側。
こちら側にはテラス席を設けて、
自販機の飲み物でもいいので、
飲みながら歓談できるようにすればいいと思う。

今日は、ここの集会室で、
熊本近代文学館出前講座として、
「合志義塾が生んだ意外な人物」という講演があった。
図書館まつりが主催事業で、
講師は熊本近代文学館長 井上智重さん。

淵上白陽(1889~1960)がその人。
菊池郡花房村に生まれた。少年のころから画家志望だったが、
生家が没落したこともあって合志義塾に学んだあと、
長崎、佐賀の写真館で修業し、神戸でスタジオを開いた」
と井上さんは熊日の特集記事に書いている。

「列車驀進」(1930)という作品は、戦後
ニューヨーク近代美術館に買い上げられたとのこと。
淵上氏は年齢から行くと、私の父方の祖父と同じぐらいだ。
同時期に学んだのだろうか。
祖父は、逓信省に入り、鉄道郵便の担当だったので、
九州各地に駅に適当な場所を見つけに行くことになったが、
写真機の取り扱いが不得手だったので、写真ではなく、
すべてスケッチにしたという話を祖母に聞いたことがある。
子どものときに聞いた話ではあるし、
どこまで歴史的に正確かはわからないが、
大筋でその時代性を表していると思う。鉄道郵便については、
ちょっと検索してみたところでは、とにかく資料が少ない。
淵上白陽が合志義塾出身ということを聞いて思い出した。

淵上は、満鉄に雇われて昭和3(1928)年に大連に渡っている。
そこで写真家編集者として腕を振るったようだが、
私の祖父の場合、兄が米国に移民として渡ったので、
自分は満州に行こうと大志を抱き、小倉まで行ったが、
周りは荒くれ者ばかりだったので、恐れをなして戻ってきたという。
これも祖母に聞いた話。
尾ひれがついているにせよ、朝ドラ的ありそうだ。
多分、その後鉄道郵便で働くことになったのだろう。
当時の話を聞いておけばよかったと思っても、
今年50回忌である。
大阪の伯父が生きているうちには聞けたかもしれない。
残念である。しかし、そういうものだ。