午前中は、尚絅大学の公開講座3週目。
本日は、桑原芳哉准教授の
「図書館をめぐる議論~県立図書館はどこへ行く?」と
松本貴文助教の「家族から社会を考える」の二つの講義。
尚絅大学には司書コースもあるので、
専任の先生がいても不思議はないし、
家族から社会を考えるというテーマも、
ある意味、女子大にふさわしいとも言える。
専任の先生がいても不思議はないし、
家族から社会を考えるというテーマも、
ある意味、女子大にふさわしいとも言える。
県立図書館について。
経済的に豊かになった日本が、
次に文化的にも豊かにならなくてはいけないということで、
全国に公共図書館が整備されることになったわけだが、
そのあとに何が来たかというと、
自治体の財政状況が厳しきなるにつれ、
その存在意義が問われることになった。
確かに際限なく予算をつぎ込めないので、
それなら、どうしても必要なのだという価値を
図書館としても認めてもらわなければならない。
福岡、大阪、横浜の各市立図書館は、
その規模や貸出冊数などで、府県立図書館を大きく引き離す。
府県立図書館不要論がある中で、
そう県立図書館の特長を出していくか、それを考えることは、
市町村図書館のあり方を考えることでもある。
「家族から社会を考える」は、さらに刺激的な講義だった。
家族とは何かに答えるのはむずかしいが、
家族とは○○であるべきである、という「べき」論は
明らかに存在する。
具体的には「夫婦は愛情で結ばれているべき(恋愛結婚主義)、
子どもこそ家族の中心で母親は愛情を注いで育てるべき(母性主義)」
など。
それらは間違っているとは言えないが、
合致しないとたちどころに批判の対象になる。
このような「べき」からなる家族を、研究者は「近代家族」と呼ぶそうな。
その典型が「ちびまる子ちゃん」であると。
近代家族は「核家族化」の流れでもあるが、
その核家族化は見合い結婚の比率を恋愛結婚が上回った
1960年頃に始まり、1980年代にほぼ終了。
生涯未婚率、離婚率の上昇、少子化の進展などから
「家族を一つの生活の単位と見る視点が後退して、
個人の生活や人生が重視されるようになった」
これを「家族の個人化」と呼ぶとのこと。
核家族化は高度経済成長が始まったころと重なるが、
これは家電などの耐久消費財の販売数量が増えることと
相関関係があったとも言える。
長くなるので、ここらで終わるが、
自治体の政策決定においても、
こういう基本をもう一度おさらいして
かかるべきであるという思いを強くした。
午後から参加した熊本大学政策創造研究創造センターの
公共政策コンペのプレゼンテーションは、
その続きみたいなところがあって、
今日は本当に心地よい頭脳疲労でございました。
経済的に豊かになった日本が、
次に文化的にも豊かにならなくてはいけないということで、
全国に公共図書館が整備されることになったわけだが、
そのあとに何が来たかというと、
自治体の財政状況が厳しきなるにつれ、
その存在意義が問われることになった。
確かに際限なく予算をつぎ込めないので、
それなら、どうしても必要なのだという価値を
図書館としても認めてもらわなければならない。
福岡、大阪、横浜の各市立図書館は、
その規模や貸出冊数などで、府県立図書館を大きく引き離す。
府県立図書館不要論がある中で、
そう県立図書館の特長を出していくか、それを考えることは、
市町村図書館のあり方を考えることでもある。
「家族から社会を考える」は、さらに刺激的な講義だった。
家族とは何かに答えるのはむずかしいが、
家族とは○○であるべきである、という「べき」論は
明らかに存在する。
具体的には「夫婦は愛情で結ばれているべき(恋愛結婚主義)、
子どもこそ家族の中心で母親は愛情を注いで育てるべき(母性主義)」
など。
それらは間違っているとは言えないが、
合致しないとたちどころに批判の対象になる。
このような「べき」からなる家族を、研究者は「近代家族」と呼ぶそうな。
その典型が「ちびまる子ちゃん」であると。
近代家族は「核家族化」の流れでもあるが、
その核家族化は見合い結婚の比率を恋愛結婚が上回った
1960年頃に始まり、1980年代にほぼ終了。
生涯未婚率、離婚率の上昇、少子化の進展などから
「家族を一つの生活の単位と見る視点が後退して、
個人の生活や人生が重視されるようになった」
これを「家族の個人化」と呼ぶとのこと。
核家族化は高度経済成長が始まったころと重なるが、
これは家電などの耐久消費財の販売数量が増えることと
相関関係があったとも言える。
長くなるので、ここらで終わるが、
自治体の政策決定においても、
こういう基本をもう一度おさらいして
かかるべきであるという思いを強くした。
午後から参加した熊本大学政策創造研究創造センターの
公共政策コンペのプレゼンテーションは、
その続きみたいなところがあって、
今日は本当に心地よい頭脳疲労でございました。