そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

伝えたい 私の戦争

5月24日 土曜日

熊日本館2階ホールで開催された、
記憶のバトン、未来につなぐ――シンポジウム
「伝えたい 私の戦争」に参加。

風邪がまだ治ってないので、
大勢が集まる場所は遠慮すべきなのであるが、
このご時勢、行っておかなければと出かけた。
しかし、風邪薬の影響もあり、
というか、就寝中の咳により、睡眠不足がたたり、
半分は寝ていた。

薬の副反応で、頭もぼっとしている。

大分県宇佐市の豊の国宇佐市塾の平田崇英さんの話が、
いわゆるひとつのまちづくり団体の活動として
参考になるところが大きかった。

昭和62年9月に開塾、
当初のテーマは「宇佐再見」として、市のアイデンティティとは何か、
とにかく細かく見て行こうということだったらしい。
また、キーワードが「国際化」であったことは、
全国的にそういう時期だったと思う。
結婚して家庭を持った時期だったので、
私はその頃、社会的な活動を、まったくやっていなかった。

「戦争遺跡に学ぶ~宇佐航空隊と向き合って」

豊の国宇佐市塾では、
まず「宇佐市にゆかりの人物や、航空隊の歴史などに取り組み、
作家横光利一横綱双葉山ら5人の人物の紹介本
「宇佐細見読本」をシリーズで刊行。
地域づくりは個人に情報が集まるので、
のちの人に伝えるには活字にしなければならない、
という考えがあったようだ。
つまり、アーカイブズの着想である。
その過程で、平成元年から宇佐海軍航空隊の調査に取り組んだ。

アメリカの公文書館(確か)から、
大量の資料を取り寄せた中に、黒石原飛行場の爆撃映像もあった。
米軍機は「ガンカメラ」を搭載していたため、
空襲の映像が多数残っていると。
機長が空襲成功の報告するときの動かぬ証拠にするためと、
平田さんは言われたが、統計学的な意味もあるのではないか。

詳しくは、熊日本紙に掲載があると思うので、
今日はこの辺で失礼します。

本日は、くまもとパレアで、熊本県詩人会の定例総会だった。