そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

逃避級数

立命館大産業社会学部教授の福間良明さんによる
今朝の「くまにち論壇」の主題は、
「自由」なネット世論の危うさ、だ。

会員制交流サイト(SNS)の普及で、
「言論・表現の自由」が著しく進んだと見ることも
できるが、反面何の審査も経る必要のないSNSでは、
それらが公的に出回るときに、発言の「過激さ」が
注目を浴びることもある。
問題はその経緯において、マスメディアが混乱を恐れ、
自らを「中立」に置こうとして、
「ネットメディアの『自由』で『多様』な議論が、
ときにマスメディアに『制約』を生むという逆説を、
そこに見ることができる」というのだ。

私は以下の部分が重要だと思う。
「そもそも、『極論』が生まれやすい主題こそ、
じつは粘り強い思考や交渉が必要とされるものである。
歴史認識原発格差社会の問題に限らず、
現代社会は、悶々と悩み、自問や討議を積み重ね、
何にこだわり何に妥協するのかについて
交渉を重ねるしかない局面満ちている。
だとすれば、威勢の良い『極論』に高揚することは、
熟慮する苦悩からの『逃避』を意味するのではないか」

しかし、時代がここまで来ている以上、
ネットでの議論は不可避である。
いや、まずは議論が必要なのであり
そこから逃げないことが、
「極論」をも建設的なベクトルへ引き込むことに、
・・・つながればいいのだけれど。