そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

いきものがかり水野良樹のそして歌を書きながら

16回目からの引用。
おばあちゃん子だった自分の思い出の水戸黄門から、いまやフィクションの世界でも勧善懲悪は単純に描かれなくなったと書く。
令和2年(2020年)7月27日の熊日夕刊。
端的にそれは社会の進歩だと思う。
だが、正義を単純に語れなくなったからこそ「正しくありたい」という人間の欲望や不安は、
露出しやすくなったようにも思う。
絶対に否定されない”勝てる正義”に今は誰もが飢えている。
法を破る。倫理を外れる。
分かりやすくたたきやすい悪が出現すると、
多くの人がわれ先にと正義という武器を手にとり飛びかかる。
悪に刀を振り下ろすことは責められないから歯止めが利かなくなりがちだ。
正義は何度も勝ってしまう。
じゃあ世界はどう変わったのだ、と問われる前に皆また違う悪を探している。
勝つことだけに夢中の正義は優しくない。

しかしだ。絶対に否定されない”勝てる正義”なんてないぜ。
と歯向かっていく一群の人たちもネット上にはいる。
そして果てしない戦いは続いているのが現実である。
不毛だ。だが、それは多少なりとも救いである。
そのとき。勝てる正義軍団が正しいのか、
それを批判する人たちが正しいのか、
正義は単純に語れないということは、今のところ一応真実なので、
勝敗はつかない。