そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

ミス・ユー>2/5/2006・k306

 庄司さんの書くものに出合ってから、ずいぶん月日は流れ、年も重ねた。
 伝達のための道具であり素材でもある言葉を駆使して、小説ならば様々な物語が綴られるが、それでは詩にしか紡げないものとは。
 庄司さんの詩が持つ、ひとつの確かな要素。それは喪失感だと思う。「いまここにいてほしい」とはっきり書かれたわけではないが、失くしてしまって取り返しのつかないものを切望する気持。あの日にもどれないからこそ、その埋められぬ思いは、どこまでも深い。
 しかし、そこは詩歌である。懐旧の人もため息をついているばかりではない。
 印刷された行を追いながら、呼び覚まされる光景は、彼女の思うところと似て非なるものかもしれないが、甘美な夏と海の記憶と、それに連なる追想に、誰もが誘われるのではないかと思う。
 うしろ向きに、ちゃんと前に歩ける彼女は、俯いていても前向きな、朗読の詩人です。

         「和田浦の夏」
           庄司祐子著 石風社
               1500円

Then and Now:熊本日日新聞「私の3つ星」不採用。熊日文学賞を受賞されたあとで、これを投稿するのにも勇気が要った。でも、自分が書かなくて誰が書くと思いながら悪い癖で、延ばしのばしにしていたのだ。
 かっこつけたわりに、相当独りよがりの文章で、意を尽くしたとも言いがたい。ちょっと今日は急いでますので、これにて失礼。
 庄司さん。改めて、受賞おめでとうございます。