あれは、私が高校2年の夏。1972(昭和47)年のこと。
忘れもしない、8月15日。夏休みだったので曜日は覚えていない。
はっぴいえんどのライヴを見た日のことは、
前に書いたと思う。
その日、福岡、熊本のバンドに混じって、
陽水は無名に近く、ヒット曲もあったりりィが、
多分いちばんフェーマスだっただろう。
会場は、南熊本駅のそばのボーリング場の駐車場。
舗装なんてしてなくて、夜は蚊の大歓迎を受けたはずだ。
日が落ちるのを、まだかと待ちわびていると、
りりィが、塀を乗り越えてやって来た。
ジーンズにエスニックな綿のシャツ。
アグネス・ラムの前身は彼女だ!
昼間、リハーサルの合間に、りりィたちと、
ボーリングをしたと、曲間に陽水は話した。
あの粘りつくような調子で「熊本のボーリングのピンは、
なかなか倒れない。県民性ですね」
これが、井上陽水のジョーク。
もう、一つ。
当時、彼は熊本によく呼ばれていたので、
おそらく3回は、見ている。
無名のフォークシンガーの、ギター1本の弾き語り。
入場料は、せいぜい800円ほど。それも、複数組出演で。
本題。
あるとき、あの爆発ヘアが、少し短くなっていた。
そう言われて気づく程度に。
右手の親指と人差し指で、10センチ位を示し、
「これくらい、切ってと頼んだら、
これくらい、残されました」
言葉は正確ではないが、ニュアンスはそんな感じ。
特別、ファンだというわけでもないのに、
歌よりも、そういうジョークが二つ、
それで、常にシンパシーを感じ続けている。
そういうものか。