そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

原発事故はなぜくりかえすのか

福島の原子力発電所の事故以来、
とても多く読まれていて品切れとのこと。
平成12(2000)年の本なので、
図書館にはあるかもしれないと検索すると、
ありました。
合志市立図書館では、
携帯で貸出予約ができます。→リンク 
自分の住む市町村でもやっていないか、
調べてみよう。

日本の原子力政策の黎明期に
その業界に身を置いていた著者は、
その後の原子力発電の興隆の裏で、
データ隠蔽、改ざん、そして事故が続いたのは、
文化なき寄せ集めの技術と
責任の所在のあいまいさに起因していると言う。

「日本はかつて技術立国といわれ、科学技術によって
戦後の驚異の経済成長を遂げてきたというわけですが、
実はそれを支えてきた技術というのは
案外もろいものをもっていたのではないか」

たとえばエレクトロニクス、マイクロエレクトロニクス、
自動車工学、精密計測技術など優秀だったものは多いが、
航空技術、ロケット技術、原発技術などは、
それなりに頑張ったが、弱さを露呈してきているのではないか。
そして手触りを忘れ、
コンピュータのシミュレーションの中で設計されることの
危うさについて言及する。
コスト削減につながるとはいえ、
近年の自動車産業でも
やっぱり弱い部分として指摘されたのは、その辺である。




今日、トヨタ・パッソを洗車しながら、
これが新車でも、100万ちょいで買えるんだもんなあ。
と、ありがたいが複雑な気持になる。

原発安全神話は、1999年の時点で
もうとっくに崩壊していたのに、
私は電化された自分の楽な暮らしを肯定するために、
国が安全と言ってるんだから、そうなんだろうと、
責任転嫁していた。
だって、地球温暖化防止のためには、
化石燃料じゃなくて、原子力の方が環境に良いらしいって。

でも、甘かった。
水浸しになって非常電源が喪失する発電所って、
それが安全だなんて、神話の神様が怒るよ。

アカウンタビリティー」という言葉について、
最近では「説明責任」という日本語になっているが、
著者は、あえてカタカナのままにしている。
それは、この言葉が「レスポンシビリティー」つまり
「責任」の方に力点が置かれているからとする。
つまり「わかりやすく説明する」のではなく、
税金の使い道やネガティブな面も含めて、
「筋道がはっきりつくよう形で説明する」が
本当の意味だというわけです。

読みやすく、わかりやすいけれど、
市民科学者としての「アカウンタビリティー」を果たすために
口述された遺作である。