そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

心身一如

6月11日から熊日夕刊で、
稲毛病院健康支援科部長の佐藤務さんによる
「心身一如 万病息災への旅」は始まっている。

たとえば、ダイエットして減量には成功しても、
精神面の停滞や、極端にはうつの傾向が出ることもあるとのこと。

「『心身一如』は、心と体は分けることができない
一つのものであるということを意味する言葉です」とある。

英語の健康Health もギリシャ語のHolos が語源で、
「全体、丸ごと、完全な」という意味があるそうな。
「つまり、体だけ、心だけの健康など存在しないということです」

「人には体の代謝だけでなく、
血液脳関門を境に進化した脳独自の代謝があります。
体と脳は栄養学的に代謝材料が異なり、一部相反・競合します」

なんか、わかるような気がする。
もちろん体調が悪ければ、心のありように影響があるように
密接であるとは思うが、
体が健康なら、精神もそれにつれて健康というわけには
(残念なことにその逆も)いかないというわけです。

しかし、なんだ。
そうなると脳が発達した人類というやつは、
すでに一般的な生物の範疇を超えているということか。
あ、みなさん、そんなこととうに分かってらっしゃった?
脳みそがでかくなり過ぎたことの不幸を
カート・ヴォネガットも、嫌になるほど語っていたっけ。

だいたい私は健康、健康と言うこと自体どうかと思う。
産業としての健康、自治体財政における健康、
いずれも私たちが健康に(!)に健全に暮らし、生きていくためには
重要なファクターであることは間違いない。
そして、健康というキーワードや概念に寄り掛かろうとする、
ある意味、人間の弱さというものもある。
それらをきちんと分かったうえで、
健康について考えるべきではないかと私は思う。