今日から、正式名称が「ヴィーブル図書館」に変った、
ヴィーブル2階の図書館に立ち寄ったとき、
そばのトイレに入って驚いた。
小用を足す便器の横に2種類のポスター。
1枚は「大腸がん撲滅大作戦」、
もう1枚は、「大腸がん検診を受けましょう」というもの。
しかし、水洗のセンサースイッチの横の位置というのは、
それほど長身でない私でさえ、
視線を落とさなければならず、適切とは言えない。
「ご使用後便器から離れると自動洗浄します」の陶板があるので、
それを避けざるを得なかったことはわかるが、
それなら、汎用ポスターをそのまま使わない方がいい。
デザインには趣味嗜好もあるので、
それが良くないとは決めつけられないが、
なぜ、そのポスターをその場所(今回はトイレ)に貼るのか、
目的と啓発の趣旨を考えれば、
その位置には、「大腸がん撲滅大作戦」
という標語だけでもよかったのではないか。
私はデザインの専門家ではないが、
それが目指すものから逆算すれば、
人目を引くインパクトと、一目で分かる趣旨・意図が
大切なことぐらいはよくわかる。
大腸がん検診の受診率を上げたいという
切実な目標があるのなら、担当課では、
どうやったら、それが説得力を持つのか、
十分意見を出し合うべきだったのではないだろうか。
失礼な言い方になるが、議論を尽くし、
知恵を絞った後は見受けられない。
そういう批評に不慣れなのかもしれないが、
啓発やってますポーズは不要である。
実はもう1枚「受けていますか?がん検診」という
さらに小さい文字数字でがん検診の詳細のコピーも
貼ってあった。
何をか言わんや、である。
気持は痛いほどよくわかる。
ひょっとしたら、それを見てがん検診を受けようと
思う人がいないとも限らない。
しかし、目標は2,3人ではなく、2~300人ではないのか。
なぜ、直接担当者に言わないのか。
言いっぱなし、聞きっぱなしになることが予想されるからだ。
これは「がん検診」に限ったことではなく、
張り紙で伝えることの神髄についてである。
思いを伝えるということについて、
自己反省も含めて、考える機会としたい。