建築の現場でも映画製作の現場でも「○○組」という名称(社名)があったり、責任者のことを監督と呼ぶという共通点がある。
建物にしても映画作品にしろ、多くの人が関わって、ひとつの形にしていくという意味では同じ共同作業である。
良いものを作りたいという気持は一緒のはずなのに、それぞれに自分の経験やセンスを元にした言い分てものがある。
悪役がいなくても、人が死ななくっても新しい映画は成立するのだということを証明してくれた三谷幸喜監督。
画面に出てない人たちの話し声だけが、聞こえてくるという音響の面白さ。これが臨場感というか、生活感みたいなものかな。
血縁を超えた「拡大家族」が集う場所としての家づくりを描きたかったんだと思う。
古いものにこだわりを見せているようでいて、妥協を重ねていたのは大工の棟梁の方だったという皮肉は、結構キツイ。
Then and Now : 筆名ムーンライター。「シネマレビュー」に送ったものだったか。定かではない。書いてるうちに映画に対する印象が固まっていくということもあるのだ。