そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

菊池事件50回忌記念講演会(当日)

午後2時より、
菊池恵楓会館内、恵楓会館で、
「菊池事件50回忌記念講演会~再審の実現をめざして~」
を聞きに行った。
チラシによると、
菊池事件は、1951年8月に起きた。
熊本県内のとある衛生職員Aさんの自宅に
ダイナマイトが仕掛けられたことで、
菊池恵楓園に入所勧告を受けていたFさんが逮捕され、
有罪判決を受けるが、拘置所を脱走。
その後Aさんが殺害されたために、
再度逮捕されたFさんが、死刑判決を受け、
3度の再審請求も棄却され、刑が執行されたというものだ。

現在熊本県では、
無らい県運動を検証中であるが、
昭和24年に始まった無らい県運動が、
この菊池事件の時代背景としてあるようだ。

運動としての「無らい」、つまりハンセン病をなくすということが、
患者をいかに療養所に囲い込むか、の競争になったことが
まず最初の過ちだという意見がある。
それに、多くの人の証言をもとにすると、
療養所内の特設法廷で、
とても法に則った形で裁かれたとは言い難いこと、
などの問題もある。

今日の話で、
Fさんが本当にハンセン病であったか疑わしいこと、
またその裁判判決が冤罪である可能性が高いことを
改めて認識した。
再審請求は、直系親族しかできないが、
そこにハンセン病に対する差別などが重なり、
なかなか理解が得られないようだ
そんな昔のこと、もう済んだことでいいんじゃないの、
と思う人もいるかもしれないが、
いつの時代も形を変え、そうした間違いを
私たちは犯してきている。
そういうことをそのままに、恵楓園の将来構想とか、
ましてや広大な土地をどうするかなどと、
デヴェロッパー的な発想でいいわけがない。

判決は厳正なものだが、
そこに至るまでに
間違いが積み重なってしまう場合もある。
もし、冤罪だったら、真犯人がいるはずだ。
なぜダイナマイトを仕掛けなければならなかったのか。
いずれにせよ、
当時の裁判のやり方に問題があったことは
間違いないだろう。
真犯人というよりも、
事件の真実を明らかにすることはどうしても必要だ。
そう思えるようになってきた。