そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

リサイクルという免罪符

昨日は、ヴィーブルで行われた

合志市の環境美化推進委員会議に出席。
この1年、泉ヶ丘の1町内で、ごみの減量化と
環境美化に関する活動をしたと
胸を張って言えるほどのことはやっていないが、
ごみステーションのカラス対策で、
生物をチラシや新聞等で見えないようにして、
ごみ袋に入れて出してくれという啓発はやった。
これも、その分、資源になるかもしれない紙類を
燃やすごみに混入させたと言えないこともないのだが。
あと、資源ごみと埋め立てごみの袋への記名の徹底。
これは泉ヶ丘自治会全体での取り組みであったが。

合志市が掲げるごみ排出量の20%削減は
市民1人当たりに換算しても達成されていないので、
来年度はさらに力を入れるようである。

先日閉会した合志市議会定例会でも、
総務常任委員会からの議員提出議案として、
「容器包装リサイクル法を改正し、
発生抑制と再使用を促進するための法律の制定を求める意見書」
が提出され、全会一致で可決した。

容器包装リサイクル法ができたとき、
私はそれが新たな利権になりはしないかと思った。
リサイクルは大事なことだが、
そのために多額の税金が使われる。
ペットボトルは確かに便利だけれど、
もともとリサイクルにそれほど適していない。
ペットボトルに入った商品の購入消費を減らすことの方が、
よっぽど世の中のためなのであるが、
便利さを捨てることはむずかしい。

ごみ袋の有料化と同じように
本来は消費者の目に見える負担を求めるために、
消費税みたいな形にすべきではないかと思う。

今回の意見書では、そこをソフトに、
「容器包装の拡大生産者責任を強化し、
リサイクルの社会的コストを低減するため、
分別収集、選別保管の費用については
消費者の負担増にならないよう検討し、
製品価格への内部化を進めること」
としている。

いずれにせよ、ごみは資源であると言いつつ、
リサイクルを免罪符としないことである。
また、「誰かが減量するだろう」もご法度である。