そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

集団的自衛権行使容認について

よくあるアンケートの回答に、
賛成、反対、よくわからないの3択がある。
集団的自衛権行使容認についての設問は
あちこちでなされていると思うが、
賛成何%、反対何%よりも、
よくわからない人にどう分かってもらうかが大事だと思う。

目先のと言っては失礼だが、
今日明日の生活の方が切実な問題だという人は多いだろう。
そういう人に、集団的自衛権の行使容認という問題は響かない。
国政選挙できちんと投票していたにしても、
それは国会議員に任せたと思っているかもしれない。

よくわからない人にまずは関心を持ってもらうことが、
本当は一番大切なことなのだ。
国のあり方を問うような問題なのだから。
ツイッターでは大量のツイートが流れているが、
それは私のフォローしている人がそういう傾向があるからで、
ほぼ閉ざされている世界である。
私のブログに至っては、毎日30人ぐらいの訪問者であるが、
議論が下手なので、ここに書き綴ることしかできない。

私みたいな人間が、単なる意思表示を越えて、
できることを考えていかなければならない。

今日の熊日朝刊の「変容する平和国家・中」では
防衛省の見方が書かれている。

安倍晋三首相は15日の記者会見で『それでいいのか』と
語気を強めた。近隣での有事に、避難する在留邦人を輸送する
米艦船が攻撃を受けた場合、集団的自衛権の行使に当たるため、
自衛艦が防護できないと訴えた。
防衛省の制服組幹部は『そいうケースが喫緊の課題として
議論になったことはない』と首をひねった」

私はラジオでその会見を聞いたが、
あまりに稚拙な事例と、その後の質疑の的外れな回答に、
これは自分をわざと馬鹿に見せる高等戦術かと思った。

記事はこう続く。
「①在留邦人の避難はまず民間機を使うのが通例
②米艦船は戦闘の準備が最優先のはず
③防護が必要なら米軍内でする―など次々に疑問が浮かぶ事例。
別の防衛省幹部は現実味のなさに
「下手な芝居だ」と切って捨てた」

具体的な事例の出し方が、国民を馬鹿にしている、
という言い方もできるかもしれない。
つまり具体的な事例を挙げることが、
少しもその必要性を強調することにつながらない、
ということもあるんだなぁということが分かった。

集団的自衛権の行使容認を政府が求めているのだから、
大いに議論しなければならないが、
それが空しくなるぐらい、その必要性に説得力がない。

防衛研究所が4月初めに公表した報告書で、
「自国の安全を高めようと意図した国防力の増強が
他国にとって脅威とみなされ、対抗的な政策を引き起こし、
結果的に軍事的緊張が高まる」という見方を紹介したとのこと。
「安全保障のジレンマ」と呼ばれる。

防衛産業を経済成長戦略の一つに位置付けると
安倍首相は、はっきり言ったらどうだと私は思う。
そのための集団的自衛権行使の容認論議であり、
戦争をしないための抑止力の意味であると。

もちろんそんなこと私は認めませんが。