3月29日付熊日「江川紹子の視界良好2009」では、裁判員制度と殺人事件の量刑のむずかしさについて書かれていた。
最後の方で「そもそも、『国民感覚』を生かす裁判員裁判は、
凶悪な殺人事件より、贈収賄や巨額の脱税、特別公務員暴行陵虐罪などの権力犯罪や、
国家賠償訴訟などの国を相手にした裁判で行われるべきだ」とある。
それも一理あるなあ。
ただ、そうなると、殺人事件以上に感情的になりそうな気もする。
どうして裁判員制度が必要なのか。関係の記事を読んでいなかったので、全然わからない。
たとえば木村拓哉みたいに有名な人は、名乗らなくても誰かわかるので、
多分裁判員になれないだろう。
写真は、午後6時頃の水道町。楠の若葉の薫りが舞い降りてきていた。