そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

ヒトの野生化を見据えて

10月20日の熊日にあった宗教学者 山折哲雄さんの現論。
「いじめ」あと絶たぬ近代教育というテーマである。

ヒトはほったらかしにしておかれると、
そのうち野生化する。いつでも野獣化するというのが、
そもそも大人の常識だったはずである。
それは子どもたちの場合でも変わることがない。

放っておけばいつでも野生化するヒトを、
いわば飼いならすために欠かせない文化的装置を
開発してきたのだと思う。


その文化的装置には、
スポーツ、軍隊的な組織、宗教、
そして学校である。

学校こそは、思春期に達する前から
子どもたちを家庭という温床から引き離し、
よりいっそう統合された価値観と人生観を
ビルトインする場だったからである。


異論もあるだろうが、
確かにそう言われれば・・・
しかし、野生化した野獣化したヒトが
必ずしも身内同士の殺し合いに走るかどうか。
そういう問題ではない?

「いじめ」がヒトの野生化野獣化の発露であるかどうか。
誰かを異端としてまつりあげるという意味では
魔女狩りみたいなもので、
いじめの対象となった者以外の連帯を
確認するための行為という側面もあるかもしれない。

山折氏はこう結ぶ。

われわれの「近代教育」はこれからさき、
人の野生化という問題を正面に見据え、
将来のあるべき姿を模索すべきときに
きているのではないだろうか。


いじめだけの問題ではないということだ。