昨日の熊日夕刊の「現論」は法政大教授の田中優子さん。
表題は「江戸から見る自衛と人権」。
これは、そのまま丸写ししてもいいくらい素晴らしい文章だ。
熊日の夕刊を購読していてよかったと心底思える。
自衛隊(もしくは軍隊)は国民の生命、財産を守るのではなく、
国の独立と平和を守るのだ、という意見があるそうだ。
「多くの国民が死に、国土が戦場となって荒れ果てたとき、
国の独立と平和だけが残るとしたら、
その国はいったい何のためにあるのだろうか?」
人は名誉を重んじるが、少なくとも子孫が残って、
それを誇りと思わなければ、それすらない。
「国際条約の上でも国内法でも、
人にとってもっとも重要な権利は人権である。
国を守るとは国民の人権を守ることである。
人権は近代の大発明で、
江戸時代にはその発想がないから身分と職業が重なり、
義務教育制度もなく、差別が生まれた。
人権こそ近代社会の要だ。『人権を守る』ことが自衛の基本である」
その後に「むろん個々が人権を侵し合わないために
『公共の福祉(幸福)』が前提になる」とも書かれているが、
自民党の憲法改正草案は、その公共の福祉を盾に
国民の人権を制限しようとしている。
人権が主張され過ぎるから、その乱用で国家財政が立ち行かなくなった、
という意識が根底にあると思われる。
国を存続させるためには、国民の人権に縛りをかけるべきだという理屈である。
納得してはいけないが、一理ある。
国にとっての恒久的な独立と平和のためには、
国民がいちばん邪魔になるのだ。
「自衛を軍備や戦争のことだけだと思い込むのは、
自衛という目的を目的を既に見失っている。
国土と国民を守るには、戦争を回避する方法しかあり得ないのだ」
この結論からは自衛隊不要論だと思われるかもしれないが、
実は途中にこういう部分もある。
「今もっとも大きな被害を受け苦しんでいる人々は、
福島の避難民と米軍基地によって危険にさらされている沖縄の人々である。
その現状をふまえると、まず大震災、津波、放射能、
米軍基地から国民を守らなければならないのである。
それが現実を直視する、ということだ」
シリアを爆撃しても、アメリカ人は死なない。
オバマ大統領の決断と、
これからなされるであろうアメリカ議会の決定について、
わが国では国会での議論が必要ではないのか。