さて、昨日の続き。
伊東豊雄氏の講演に引き続き、
プロジェクト「高野病院」について、設計者である共同建築設計事務所の
川島浩孝氏と、コンテンポラリーズの柳澤潤氏の二人の報告。
「自然を受け入れ人との交流を促す“ひろば”のような病院」
「熊本の豊かな風土と人々のおおらかさを
建物全体で感じられる病院。それでいて大きな家」
伊東氏による二次審査講評はこちら→リンク
公募型プロポーザルの選考にはいろいろな方法があると思うが、
講評はかくあってほしいという見本である。
第2部は、熊本県医師会長である
福田病院理事長の福田稠さんだった。
福田病院のPRビデオが出てきたときは少し引いたが、
産科婦人科がどういう診療科であるのか、
子どもが生まれるということはどういうことなのか、
先生の話も含めて理解が深まった。
先生は建築に造詣が深いのだが、
それでも、旧県医師会館の保存はできなかった。
理事長の藤山重俊氏がパネルディスカッションに参加した
くまもと森都総合病院は、昔、熊本逓信病院といって、
祖父が入院したときに見舞いに行った思い出がある。
モダンで、廊下がよくすべる楽しい病院だった。
祖父は合志義塾を出て、逓信省に入った。
くまもと森都総合病院の前身は、
1922(大正11)年に熊本逓信診療所として作られ、
のちに病院に昇格、私が生まれた1956(昭和31)年に
新病棟ができている。
検索してみると、福岡逓信病院の看護師募集のpdfが出てきた。
こう書かれている。
して設立し、80 年以上の歴史を持つ病院です。当初は、逓信省・郵政省
の職域病院として診療を行ってきましたが、昭和56年に保険医療機関の
まの健康に貢献する病院として医療サービスを行なっています」
新しい森都総合病院は、いま新高野病院予定地の隣に建設されているが、
建築史上、歴史的な価値があるとされる旧病院の保存は難しいだろう。
高野病院の山田一隆理事長が語る、
病院内の新築プロジェクトにおけるスタッフの議論の模様は
実に興味深いものだった。
合志市は高野病院と大腸がん予防に関する連携協定を結んでいるが、
今回の地道な取り組みの話を聞いて、高野病院のファンになった。
新しい森都総合病院は、いま新高野病院予定地の隣に建設されているが、
建築史上、歴史的な価値があるとされる旧病院の保存は難しいだろう。
高野病院の山田一隆理事長が語る、
病院内の新築プロジェクトにおけるスタッフの議論の模様は
実に興味深いものだった。
合志市は高野病院と大腸がん予防に関する連携協定を結んでいるが、
今回の地道な取り組みの話を聞いて、高野病院のファンになった。
