今年は小泉今日子デビュー40周年だった。
私はデビュー直後は知らなかったので、翌年ぐらいから
ファンになったと思っている。39周年かな。
一所懸命になる時期とそれほどでもないときがあって、
一番夢中なときを便宜上「シンドローム」と名付けよう。
先月、40周年記念全国コンサートツアーの熊本公演に行った。
当日まで、40周年であることを認識していなかった。
だから、セットリストがヒット曲のオンパレードだったのに
驚くと同時に、小泉今日子シンドロームが再発した。
食べるために生きるのか
生きるために食べるのか、食べるためにいきるのか。
これは人類が進化してしまったから出てきた命題である。
もちろん生き残るためには食べねばならないのだが、
同じ食べるなら、動物と違ってそれを食事という文化にしたい。
それもわからないではないのだが、
それが行き着くところまで行って、地球を追い詰めているのも事実だ。
人類って、生物として進化したことは疑いないが、
食べることだけではなくて、ヒトは何につけても求めすぎてきたような
そんな気がする。
〇〇過ぎてきた人類の一人が自分は違うみたいな目線で
そういうことを語っても、非常に白々しいのではあるが。
国家の理性
令和元年(2019年)10月25日の熊日。
元外務審議官田中均さんと姜尚中の討論記事があった。
元徴用工訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じたことで
日韓関係が史上最悪レベルに陥ったことについて。
田中さんは、中長期的な利益のためにこの地域に
どのような国際関係をつくり、能動的な外交を行うのかという
気概「ステーツマンシップ」が大事だと述べる。
「それがなぜ、国内の自分の支持層が喜ぶ政策をベースに
政権を維持しなくてはならないのか、全く理解できない」
つまり安倍晋三首相(当時)は政治家ではないのだ。
お調子者が持ち上げられて総理になったということになる。
7年超にわたる安定政権とは一体何だったのかとは、
この時点では誰も問うていないが、
メディアも国民も、そのお先棒を担いでいたということ、
なんじゃないのかな。
ウォーキング
風の便りを配っている。自転車と歩き。
特に歩くと、いろいろなことを考える。
で、いま書こうとするとほとんど忘れている。
ほとんどというか、すっかりと言うべきかもしれない。
人生を振り返るのだが、もうそれが向上することを約束しない。
もうちょっと頭がいい人間だと思っていたのだが、
それほどでもなかった。
努力しなかったことは大きい。
さらに努力すべきだということに気づいても、
そこで努力を始めなかった。流されていたなと思う。
自分を卑下しているわけではない。
事実をありのままに認めているわけだ。